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おわりに
「人間の不合理な行動は、実に奥が深いものだ!」
私は、診療活動を通して、このことを痛感させられた出来事がありました。
ある20代の女性が、会社で仕事をしている時だけ尋常とは思えないミスを繰り返してしまうということで、私のクリニックを訪れたのです。
彼女は、書類を作成しようとしたら1行ごとに書き間違え、計算をしようとしたら一けたの足し算さえ間違え、名前を呼ぼうとしたら隣りの席の同僚の名前さえ言い間違えるというのです。
しかし、一歩、会社から出れば、こうした症状はたちどころになくなるそうです。
実際、脳機能についての検査を行ったところ、彼女の脳には何ら異常は見つかりませんでした。
あなたは、どうして彼女にこのような症状が表れたと思いますか。
問診や検査を通して最終的に私が下した診断は、「身体表現性障害」。
簡単に言うと、心の問題が身体に形を変えて現れたものです。
話を聞くと、彼女の職場環境は極めて劣悪でした。
賃金の不払い、
連日のサービス残業、
やりがいのない仕事、
そして繰り返される上司からのセクハラ…。
彼女の深層心理では、「こんな会社は辞めたい」と感じていたはずです。
しかし、まじめな彼女は、「会社を辞めるなんて、だらしのないことだ」と信じ込んでいました。
こうした彼女の心理が抱える矛盾を解決する唯一の方法が、ミスを繰り返すことだったのです。
ミスを繰り返せば、いずれ会社をクビになるでしょう。
自分で会社を辞めることには倫理観の上で抵抗があっても、クビになるのだったら仕方のないことです。
そこで、彼女の深層心理が無意識のうちにミスを繰り返させていたというわけです。
仕事中にミスを繰り返すというのは、一見、不合理な行動です。
しかし、その背景を丁寧に探っていくと、人間の脳には、実は極めて合理的なロジックが働いていることが分かるのです。
本書を通して私は、人間の不合理に科学のメスを入れてきました。
その斬り口は、かなりシャープなものだったと自負しています。
「不合理な行動を取ってしまうのは、心が弱いからではない」
「適切な方法で行えば、不合理な行動と決別できる」
私が本書を通して最もお伝えしたかったのは、このことに尽きます。
こうした視点を共有していただけたとしたら、それだけで本書を読んでいただいた価値は十分にあったと思います。
しかし、こうした視点を持つだけでは、「身体表現性障害」といった複雑な問題は解決できません。
本書で解き明かした人間の不合理に関するメカニズムは、総論としては、かなり本質をついていると自信を持っていますが、各論については、まだまだ不十分です。
人間が抱える不合理な行動に隠された秘密は、とてつもなく奥が深く、私はその入口に立っただけなのかもしれません。
では、さらにその先にある人間の存在の深淵に至るには、どうすればいいのでしょうか。
私ができることは、医学、脳科学、認知心理学など、今後もただひたすらに科学的な探求を深め、さらに効果的な方法論を世に送り出すことしかないと思っています。
こうした具体的な成果の積み重ねによって、不合理の行動についての理解も深まるはずです。
勉強法、仕事術、健康法、睡眠医学、コミュニケーション・・・。
私はこれまで日本や韓国を中心に40冊近くの書籍を上梓してきました。
それぞれの分野に関する具体的な方法論については、ぜひ、こうした書籍をご参照いただければと思います。
また、執筆やテレビ出演とともに力を入れているのが、講演会です。
演題は、合わせて75タイトルを用意しています。
ハンドマイクを持ってステージから駆け降り、受講者の方との会話を織り交ぜながら講演を進めていく独特のスタイルが、ご好評をいただいています。
吉田たかよしを講師に呼びたいと思われた方は、ぜひ、所属事務所のタイタンまでお気軽にお問い合わせください。
「人生って、とても楽しい!」
私が不合理な行動と決別して最も変わったのは、幸福を実感できるようになったことです。
長い冬が去り、暖かい春の日差しの下で重いコートを脱ぎ棄てると、何とも心地よいものです。
不合理な行動と決別したときの感覚は、これとよく似ています。
体が軽くなったような気がして、次々と新しいことにチャレンジしたくなるのです。
そうすると、毎日が充実し、幸福も実感できるようになるのです。
こうした心の変化が得られるというのは、きっと私だけに限ったことではないでしょう。だから、あなたにも今日から不合理な行動と決別していただきたいと思うのです。
本書がそのための一助になれば、著者としてこれほどの喜びはありません。
東京理科大学客員教授 医学博士 吉田たかよし